公務員が適応障害で退職した話|診断から決断までの4ヶ月

市役所を辞めたい人へ

「適応障害って診断されたけど、これって甘えじゃないかな。みんなに迷惑がかかるから、休むなんて無理。」

こう感じているのは、あなただけではありません。

私も同じでした。
市役所に11年勤めて、適応障害と診断されましたが、「辞めていいのか」と4ヶ月ずっと悩み続けました。
結果、退職してフリーランスとして生活しています。

この記事では、私の実体験をもとに

  • 公務員が適応障害になりやすい理由
  • 診断されてから退職を決めるまでの流れ
  • 職場への伝え方(適応障害と言わなくていい)
  • 退職してみて感じたこと

をお伝えします。
「甘えじゃないか」と自分を責めている方に、少しでも届けば嬉しいです。

公務員が適応障害になりやすい理由

「なぜ自分が適応障害に?」と思う方も多いと思います。
でも、公務員の職場環境は、構造的に心が追い詰められやすいつくりになっています。

クレーム・異動・人間関係が重なる

公務員の仕事は「辛い要素」が同時に重なりやすいのが特徴です。

  • 理不尽なクレームを毎日受け続ける
  • 数年ごとに全く違う部署に異動させられる
  • 逃げ場のない人間関係(上司や苦手な同僚が変わるまで我慢するしかない)
  • 残業しても「サービス残業」になる部署がある

これらが一度に重なると、心はじわじわと削られていきます。
ある日突然、限界を迎えるのは「弱さ」ではなく、それだけの負荷がかかっていたということです。

「安定してるのに辛いなんて言えない」という孤立

公務員の辛さには、もうひとつ独特の苦しさがあります。
それは、「辛い」と口に出しにくいということです。

「安定した仕事なのに何が不満なの?」
「給料もらえてるんだからいいじゃない」

そう言われそうで、誰にも言えなかった方も多いと思います。
言えないまま一人で抱え込んでいると、心は静かにボロボロになっていきます。

私も「公務員なんて楽じゃん」と言われるのが怖くて誰にも相談できませんでした。
辛いと言えない環境が、さらに追い詰めていたんだと今は思います。

適応障害と診断されたとき、私はこう感じた

私が限界を迎えたのは、生活衛生課に異動してしばらく経った頃でした。
クレーム、人間関係、帰宅後の育児などで心も体もボロボロでした。

最初は「なんか疲れてるな」くらいに思っていました。
でも、家に帰っても家族と一言も話せない。
子どもが話しかけてきても、反応できない自分がいる。
土日も頭の中でクレームがぐるぐると回り続けている。

そしてある朝、突然、布団から起き上がれなくなりました。
体が動かない。涙だけが、勝手に溢れてくる。

「仮病じゃないか」「甘えじゃないか」と自分を責めながら、ようやく心療内科に行きました。
診断名は「適応障害」でした。

診断書をもらったとき、正直なところ「ほっとした」という気持ちが半分ありました。
「私がおかしいんじゃなくて、病気だったんだ」と。

でも同時に、「公務員なのにメンタルが弱い自分」への情けなさもありました。
あの頃の自分に言ってあげたいのは、適応障害は弱さのサインじゃなくて、限界を超えたサインだということです。

病気休暇中にしたこと・しなかったこと

最初の1ヶ月は「何もしない」ことに専念した

病気休暇に入ってすぐは、とにかく何もしませんでした。
「早く復帰しなきゃ」とか「転職先を探さなきゃ」とか、そういうことは一切考えないようにしました。

朝起きて、ご飯を食べて、横になる。それだけ。
最初はそれが精一杯でした。

⚠️ 休んでいる間に気をつけたこと

  • 職場からの連絡はなるべく見ない(夫に対応してもらった)
  • SNSで職場の人が出てきそうな投稿は見ない
  • 「早く元気にならなきゃ」というプレッシャーを自分にかけない

少し回復してから考え始めたこと

2ヶ月ほど経って、少しずつ体が動くようになってきました。
そこで初めて「これからどうするか」を考え始めました。

復職するのか。転職するのか。フリーランスという道はあるのか。
焦らず、ゆっくり情報を集めながら考えていきました。

「休んでいるのに働くことを考えていいのか」という罪悪感がありました。
でも体が回復してきたなら、少しずつ考えるのは全然いいことだと今は思っています。

退職を決めるまでの葛藤

住宅ローン・夫・子どもへの不安

退職を考えたとき、頭をよぎったのはお金のことでした。

住宅ローンがある。子どもがいる。
公務員を辞めたら、この先どうなるんだろう——。

夫に話すのも怖かったです。
「やっぱり辞めちゃうの?」と責められるんじゃないかと思っていました。

A4用紙1枚の収入計画で夫を説得した

悩んだ末に私がやったのは、A4用紙1枚に収入計画を書くことでした。

「3ヶ月後にこれくらい稼ぐ。6ヶ月後にはここまで。1年後の目標はこれ」
数字を並べて、夫に見せました。

感情で話すのではなく、具体的な数字を出したことで、夫は「わかった、やってみよう」と言ってくれました。
勢いで決めるのではなく、3〜4ヶ月かけてじっくり考えた結果の決断でした。

退職の伝え方と手続き

まずは人事担当部署に報告

私は休職からの退職だったので、人事担当部署に退職したい旨をメールで伝えました。
休職中は、所属部署とは一切やり取りをしていませんでした。

メールを送ると、1度面談をすることになり、最終決定の確認をされました。
面談するのは本当に億劫でしたし緊張しましたが、
「ここを乗り越えれば公務員を辞められる」と思い、乗り切りました。

面談では、自分の意思はもう固く変わることはないと伝えました。
そして、必要書類などを受け取り、面談は終わりました。

その日に所属部署の上司から連絡が来て、それきりです。
案外あっさり市役所人生を終えることができました。

日曜夜23時に荷物を取りに行った話

退職が決まってから、一番困ったのがデスクの荷物整理でした。

何が何でも、誰かに会いたくない。気まずい思いをしたくない。
そう思って選んだのが、日曜の夜23時頃に職場へ行くことでした。

誰もいない職場で、静かに荷物をまとめて帰りました。
変な話かもしれないけれど、私にはそれが一番楽な方法でした。

【私の体験談】退職してわかったこと

退職してしばらく経ったある朝のことを、今でも覚えています。
目が覚めて、「あ、今日クレームの電話来ないんだ」と気づいた瞬間です。全身の力が抜けるように、ほっとしました。

在職中は土日も頭の中でクレームがぐるぐる回っていたので、「何も考えなくていい朝」がこんなに穏やかだとは思っていませんでした。

退職して一番変わったのは、家族との時間の質でした。
在職中は家に帰っても子どもに反応できない自分がいましたが、
今は子どものペースに合わせて笑えるようになりました。

「辞めて後悔は1ミリもない」というのが正直な気持ちです。
不安定な収入・慣れない仕事…大変なことも確かにあります。
それでも「頑張ろう」という気持ちになれます。在職中はそれすらできませんでした。

適応障害の診断を受けたとき、自分が壊れてしまったような気がしていました。
でも今振り返ると、あの診断は「もう無理してはいけない」という体のサインだったと思っています。
サインを無視し続けなくてよかった、と。

まとめ|適応障害で退職することは、逃げじゃない

この記事でお伝えしたかったことを、最後に整理します。

  • 公務員が適応障害になるのは、構造的に無理が重なる環境のせい
  • 診断されたら、まず休むことだけを考えていい
  • 退職を決めるのに焦る必要はない。3〜4ヶ月かけて考えてよかった
  • 職場に適応障害と伝える義務はない

適応障害で退職することは、逃げではありません。
自分の体と心を守るための、正しい選択です。

私は辞めて、後悔は1ミリもありません。
あの決断があったから今があると、心から思っています。

あなたにとっての最善の選択ができるよう、心から応援しています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました